おかねについて

ある時からどんなにお金がなくても


『お金がない』と声に出して言うことは殆どありませんでした。


実際には理想とはかけ離れているのだけど


そう表明するのはかっこ悪いと思ってたし、


『ない』と言ってしまったら


そりゃもう、
ない事実しかなくなる。



ずっと以前にはお金がない。お金欲しいと口ぐせの様に言う人は


必ず近くに何人かはいて、


本音では思っていなくても一緒になって不満のように語ってました。


その頃は私なりに楽しく過ごせてたし、


特に不自由はしていないつもりだったから


あんまり気にしていませんでした。


(でも、それだけ周りから聞かされるということは
心の奥では不満だらけだった。
その事を自覚する事ができ、今に至ります。)



以前、ある方とのやりとりの中で
聞かれてもいないのに自ら
『わたしはお金がありません』
と伝えたことがありました。



今思うと顔から火が出るほど恥ずかしいけど、
逆に知らない人だから開示できたのか。
それほどまでに追いつめられてたのか。



頂いたお返事に(そりゃそーだ。)と納得。
その方の言葉には説得力が宿ってました。




『多分一生無理です。』




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徳村さん
お金なんていうものは、


本当にやりたいと自分が思って、


それが自分の進む方向性にあっていれば


自然とどこからか湧いてきます。


そうでないならば、


多分一生無理です。

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このお返事に
がーんと衝撃を受けたのですが
同時にきゅっと詰まっていた心に風穴が空いたような。
なんだかすーっと身体の力が抜け
ほっとしたのを覚えています。
目から鱗も落ちました。



お金との関わり方を見直す経験をしてからは
考え方は更に変化している気がします。




『お金が欲しい』と思う事って別に悪いことじゃない。
ただし、
必要だから欲しいのか別の欲求を満たす代わりなのかでは
迎える未来は変わって来るのだと思います。
というか、実際体験済です。



本当に、この方の言う通りだった。



本当にやりたいと自分が思って、
それが自分の進む方向性にあっていれば
自然とどこからか湧いてきます。



こういった経験から
出来ない理由としてお金がないから。
というのは理屈としてあまり成り立たないのではないかと
私の中の方程式としてありまして。



『お金がないから』ではなくて
本気でやりたいと思っていない。
そのやりたくない理由をカモフラージュする為に
お金の存在を使っている。



達成されない思いが募ると苦しい気持ちになるだろうし
何がそうさせているのかという
根本的な理由が明らかにならず解消されないままなので
気づくまで同じ事を繰り返す事になります。



なぜそうなのか?
本当の望みは何なのか?を知る事で
もっと楽に望みを叶えられるようになると思うのです。




答えは全て自分の中にあります。




だから、自分ひとり夢を叶えることなんて
あっという間にできてしまうんだろうなと
思います。




たまたまこのメールのやり取りを思い出して
この経験もまた
シンボリックと出逢う伏線だったのかもしれないな〜。
と感慨深かったです。