潔癖

私は小さな頃から
潔癖で自分のものを
他人(家族含む)に触られるのは
身がよだつほど嫌でした。





それが大切にしてるものなら
なおさら。




発覚した際には
烈火の如く怒り
落とし所が誰にもわからない惨事になりました。
(自分でもわからない)




善意、悪意関係なく
触れられようなものなら
ふざけんなコノヤロー!!!




と、腸が煮えくり返る思いをするのです。





成長するにつれて
そういう感覚では生き伸びることは不可能と
肌で知ることとなり
気持ちを抑える事を覚えるようになります。
伴って自分の感情、感覚、意見も
言わなくなりました。



コレ。
自分では湧き出る感情を
コントロールし、上手い具合に流せてると思ったら
大間違いで思わぬところに
溜まったままになってたりします。



そして、
それが感情処理のパターンのひとつになっていて
溜めてるから処理なんて出来てないんですよね。



今でもふとした時に
アクシデントは起こります。
自分を自分でなだめすかしても
なんとも気持ちがおさまらない。




元をたどれば自分の不注意なのですけど、



普通軽々しく触れんやろ。
一言声かけるやろ。
(物に限らず、プライバシーに関わることなども含)




みたいな時には
涙を流す程悔しがります。




こういう感情を押さえ込み
溜めてると厄介なことになりますよね。




今でもまれに大爆発します。
私が 爆発しなかったら
周りの人から相当の衝撃を
ぶつけられます。
ぶつけられ損やねん。。




自分に関わる事だと腹を立てるのに
他人の事には無頓着で平気な人とかいませんか。
元々気にしてないとかならまだしも、
そうではない場合、
《なんで嫌だと主張していたことを
人にするんだよ》と
ほんと辛く悲しい思いをします。




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感情は溜めずに出して流したほうが
楽です。
その方法はひとつでは、ない。
と知って感情を溜めずに流して
循環させたり、
パワーに変換させる練習中です。


それもこれも
自分自身の感情の扱い方に
パターンがあると気づくことができ、
抵抗なく変容のフェーズに進めてるのは
シンボリックメソッドを取り入れた
メディテーション、
リーディングを繰り返し行ってきた
おかげだと思ってます。