パラオでのことをおじじに言ったら

パラオですごい数の戦没者がいてね。
いっぱいメッセージがきたよ。
(受けたのは私ではない)


うん、あそこはそうだろうなぁ。



その時の悔しさ、哀しみ、淋しさ
言葉では表しきれない程の感情と
自分の命と引き換えにした
未来(今)への怒り、憂い。



おじじは
「あの頃の事は鮮明に覚えている」と言いました。

先日の命の授業でも
会長さんのお話でも
同じ事を仰っていました。

70年近く経っても
全く色あせない記憶。


終戦から7年後
きけわだつみの声続編制作に関わり、
広島へ再訪したとき
まだまだ辺り一面変わってなかったそうです。


おじじは、その日の朝まで江田島にいました。
真っ青にまぶしく晴れていたそうです。
そこに一機の飛行機が
市内に向かって行くのが見えました。


その時の記憶と事実の擦り合わせに
行っておられたので
いつか公になる日が来ると
いいなと思います。

みなさんに共通するのは
昨日の事のように
リアルに表現をしお話される事。



韓国のあるところに
原爆症の方々が集まった施設が
あるそうです。
ボランティアで訪問されてる方から
教えて頂いたお話です。

その施設の皆さんは明るい。
底抜けに明るいのだとか。
日本語を聞くと、話している内に
小さい頃日本にいた時の楽しかった事とか
隣の席の子の事とか
思い出すのだそうです。
懐かしいと日本語を思い出すのだそうです。


私が今こうやって生きているのは
戦火を生き延びた
その後のの時代を乗り越えた
おじいちゃんやおばあちゃん達がいたから。
どうか、
いまは笑顔で楽しく過してほしいです。
ありがとうございます。


こちらを読んで思った事を書いてみました。
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