怒りとどう向き合うべきなのか?

http://s.ameblo.jp/pyutaz/entry-11775531759.html

シンボリックを共に学ぶ
福岡のミケロ北野さんのブログです。

文章がわかりやすいです。
ご本人を知ってるからわかりやすいと思うのか、
なんかわからなくなって来ましたが。
なぜかと言うと、
文面を読みながら
頭でそれを再生すると
福岡弁だったりするからです(笑)


今回の記事では
「怒り」
との向き合い方について書いてあります。

私はいま、
シンボリックリーディングの上級講座を受講中ですが
初級講座では
五感覚(視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚)のカテゴリーごとに
自分についてのリーディングを行い、
ひたすら繰り返します。


でね、
その中で知ったのは
【怒り】や【哀しみ】や【寂しさ】という感情を
今まで
押さえ込んで来たんだって事。

しかも
そうなるからには原因があるんですが
性格や環境、経験値のなさが関係すると思いきや
それらはほんのスパイス程度で。
ほとんどは思い込みだった。


ひとつひとつ、
【怒り】や【哀しみ】や【寂しさ】を感じたシチュエーションを
細分化するとより明らかに。
まだまだ現在進行形です。


それまで
自分では感情表現は
豊かな方だと思ってたけれど
全然違うというか。
喜怒哀楽の
喜と楽はたっぷり表せる。
ところが怒と哀にフォーカスして考えたとき、
怒と哀に関して
何があってもそれを受け止めていて
それができる自分は心が広いと思ってた。

全然、違うんです。
怒と哀は感じないようにしてただけ。
そう、感じなかったんです。
辛さに押しつぶされて
味わう事をやめてしまってた。
寂しさも。

それから、
怒と哀を表に出してはいけないという価値観(=思い込み)も
浮上してきました。
そんなマイナスの感情を表に出すなんてダメな人って、
かっこ悪いってプライド?があったのかな。

それ自体完璧な思い込み(笑)

下のようなルーチンが
まさか自分の中にあるなんて
夢にも思ってなくて

ーーーーーーーーーー
上手く伝えられない。
それがフラストレーション
言っても無駄と思う
(言わない、発散もしない)
それに慣れる
感じないようにする。楽になる
それが普通になる。
バランスを崩し
何処かにしわ寄せがくる。
(身体・メンタル・現実etc.)
ーーーーーーーーーーー

気づいた時にはびっくり。
感情を感じないなんて
病気やん!と衝撃。


でも、
もう一人の自分から
やっと気づいてくれたん?
と言われたような気もしてます。
(でも相当ぷんすか怒ってて、
怒りを通り越して無の状態でした。。)

長らくの心の緊張状態が解かれ
ふっと和らぐ感覚もありました。

その頃から
目を背けてきた色々(過去の家族や恋愛のこととか)に
向き合えるようになってきたかも。
置き去りにして来た感情や物事を
迎えに行ける様になりました。


怒と哀についての思い込みとは
相手を困らせる。
でした。
たぶん、感情をそのままぶつけてしまうので
そりゃ相手は困ると思います(笑)


上手でなくても
伝え方はいくらでもある。
感情をそのままぶつけても受け止められる人もいる。
もしくは流せる人も。
そもそも怒りや哀しみはなぜ生まれるのか?

そういう事、
知らなかったんですよね。
きっと小さい頃周りにいた大人たちが
不器用でへたくそだったんだと思います。
その環境が良い悪いではなく。
だから知らなかった。
もうそれは仕方がない。


でも、
もう知ることが出来たから
これからは。
すぐに上手く出来なくても
いくらかはできるようになるかな?


自分と向き合ったり
本来の自分を思い出すって
こういうことの積み重ねなんだと思います。


ミルフィーユ状になって
本来の自分を覆い隠している
心の蓋(人の価値観、常識、思い込みや不要なプライド)を
一枚一枚浮かびあがらせて
するりと溶かしていく。


生まれる時に持ってきた
自分のポテンシャルに光をあて
それを最大限に活かしながら
楽しく歓びと共に生きていくために。